ジョン万次郎年表
西暦(年号) 万次郎の歴史 世界史 坂本龍馬の歴史 岩崎弥太郎の歴史 土佐清水の歴史
1827年
(文政10年)
【0歳】
土佐の中浜の貧しい漁師の次男として誕生
11代将軍の息女が嫁ぐのを記念し、御守殿門(後の東京大学赤門)を建立。    

中浜音鳴神社
石灯籠建立

1834年
(天保5年)
  ドイツ関税同盟発足   【0歳】
12月、現在の高知県安芸市に生まれる

 

1835年
(天保6年)
    【0歳】
11月15日。郷士の次男として現在の高知市上町に生まれる
 

 

1836年
(天保7年)
【9歳】
父が死亡。
天保の大飢饉    

金剛福寺仁王門裏石灯籠建立

1837年
(天保8年)
【10歳】
稼ぎに出る。
詳細を読む

中浜浦老役、今津太平宅の下働きに出る。

大塩平八郎の乱
モリソン号事件(アメリカのモリソン号が日本人の漂流民を伴い浦賀に来航するも、打払令によって砲撃される)
徳川慶喜 誕生
板垣退助 誕生
モールス電信機の発明
   

天保飢饉の影響が土佐清水にも伝わり、米価が2倍に高騰した。

1841年
(天保12年)
【14歳】
宇佐から仲間と漁に出て、遭難。数日の漂流の後、太平洋の孤島・鳥島に漂着。143日間の無人島生活の後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって救助される
詳細を読む

【漂流・無人島での死闘】
宇佐浦の漁船(船頭筆之丞他4名)のかしぎとなり、正月5日足摺岬でのアジ、サバ漁中に漂流(7日間)。九死に一生を得て、南海の孤島・鳥島に漂着します。
火もなく、穀物もなく、僅かな留水と海草、海鳥を食すなどして過酷な無人島生活を送りました。
そして143日後、海亀の卵を採取に寄った米国捕鯨船に救助され、ホイットフィールド船長の保護を受けました。

天保の改革
日本初の写真が撮影される。
   

金剛福寺護摩堂・持仏堂再建
屋号を持った群小商人が現れる

1842年
(天保13年)

【15歳】
仲間とハワイで別れ、船に残りアメリカに渡ることを決心。

詳細を読む

【捕鯨船員となる】
伝蔵たち漂流仲間とホノルルで別れ、万次郎は1人捕鯨船員として、太平洋へ乗り出します。
グアム、サモア、タヒチ等に寄港。その航海の中で「ジョン・マン」との愛称で呼ばれます。

幕府が異国船打払令を廃止、薪水給与令が復活。
清とイギリス間で南京条約が締結され阿片戦争終結。
   

食料を貯蔵する義倉がつくられる

1843年
(天保14年)
【16歳】
ホイットフィールド船長の故郷であるフェアヘーブンへ。養子となる。学校で、英語・数学・測量・航海術などを学ぶ。
詳細を読む

【アメリカへの第1号留学生?フェアヘーブンでの生活】
仲間と別れ、ホノルルを出帆してから1年4カ月。万次郎は船長の故郷マサチューセッツ州・フェアヘーブンに寄港。明治元年より25年前のことでした。
アメリカ大陸での日本人として最初の生活が始まりました。
オックスフォード校(初級)バートレット専門学校(上級)で、英語・数学・測量・航海・造船等の教育を3年間受けました。

新潟が天領とされ、新潟奉行が設置された。    

布、以布利、松尾、下川口等、土佐清水のいくつかの地区に砲台が設けられる

1846年
(弘化3年)
【19歳】
捕鯨船・フランクリン号にスチュワード(給仕係)として乗り込む
孝明天皇即位
メキシコ戦争勃発
【11歳】
母・幸が亡くなる
   
1847年
(弘化4年)
【20歳】
ホノルルに入港。寅右衛門と再会。デーモン牧師と会う。
詳細を読む

【デーモン牧師と万次郎】
万次郎はホイットフィールド船長から、海員礼拝所にサミュエル・デーモン牧師という友人がいることを聞いていました。万次郎はホノルルに来るたび、デーモン牧師を訪ね、親しい友人となったのです。
また、デーモン牧師は万次郎が帰国の計画を立てた際に、自身の発行する情報誌で呼びかけ、必要物資を集めてくれたり、日本に関する最新情報を教えてくれるなど多くの協力をしてくれました。
ふたりの交際はその後も長く続いています。

善光寺地震(M7.4)   【12歳】
儒者、小牧米山に弟子入り
 
1848年
(嘉永元年)
  ゴールドラッシュが始まる
パリ2月革命
メキシコ戦争
【13歳】
日根野弁治の道場で「小栗流剣術」を学ぶ
 

 

1849年
(嘉永2年)
【22歳】
3年4カ月ぶりにニューベッドフォードに入港。
一攫千金の夢を抱いて、西部カリフォルニアへ向かう。
詳細を読む

【ゴールドラッシュで一攫千金!】
ニューベッドフォードに入港した頃、カリフォルニアで金は発見されて、アメリカ中がゴールドラッシュに沸いていました。
そこで、万次郎は金を掘って帰国資金を得ようと思ったのです。ホイットフィールド船長も賛成してくれました。そして万次郎はサンフランシスコ行きの材木船に乗り込んだのでした。

 
米国軍艦プレブル号長崎来航
英国軍艦マリナー号相模三浦郡松輪崎沖に停泊
  【14歳~15歳】
詩才を発揮するようになる。
 
1850年
(嘉永3年)
【23歳】
出発から約7カ月後サンフランシスコに到着。 金鉱で3カ月程働く。
金鉱で得た資金で上陸用ボートを購入し、帰国準備を整えると仲間と共にホノルルを出発。
詳細を読む

【ついに帰国へ】
帰国資金を稼いだ万次郎は、ホノルルへ。漂流仲間と再会し、帰国の計画を伝えます。現地で結婚しハワイに残った寅右衛門を除く、伝蔵、五右衛門、万次郎の3人で帰国する運びとなりました。
同じくホノルルで再会したデーモン牧師は、新聞記事で万次郎の協力を求めてくれた上、アメリカ領事に頼んで、万次郎のパスポート代わりとなる身分証明書を発行してくれるなど、多大な援助をしてくれました。また、デーモン牧師の呼びかけによって数々の援助品も集まりました。
購入した上陸用ボート は「アドベンチャー号」と名付け、帰国への思いとともに船に積み込まれました。

日本初の反射炉が建設される。 四万十川改修工事に携わる

「枕返しの惨劇」伝説が伝わる

1851年
(嘉永4年)
【24歳】
薩摩藩領の琉球に上陸。
那覇→翁長→鹿児島→長崎奉行所(白州での尋問は18回に及んだ)
詳細を読む

【殿様じきじきの取り調べ】
鹿児島に護送された万次郎たちを待ち受けていたのは賓客としての待遇。
なぜ、こんな待遇だったかというと、薩摩藩主・島津斉彬は、西洋の文化や技術の導入に熱心なお殿様だったからです。万次郎たちから海外の事情や知識を得たい斉彬は、直々に万次郎たちを取り調べまでしたのです。
万次郎は藩主を前にしても臆することなく堂々と答えました。

イギリス軍艦那覇に来航。
太平天国の乱
   

「子育地蔵」建立

1852年
(嘉永5年)
【25歳】
土佐への帰国。
吉田東洋から70日間の取り調べを受ける。後に絵師・河田小龍宅に寄宿。
11年10カ月ぶりに母と再会。
高知城下の教授館に出仕。
藩校「教授館」の教授に。後藤象二郎、岩崎弥太郎等が直接指導を受ける。
詳細を読む

【河田小龍と万次郎】
土佐藩に帰国した万次郎は、聞き取り調査を受けました。
土佐藩で発行された万次郎の漂流記の中でも有名なのは『漂客談奇』と『漂巽紀略』です。『漂客談奇』は土佐藩公式の記録として用いられることが多く、『漂巽紀略』は山内容堂の命によって絵師・河田小龍が著した本です。万次郎は小龍宅に寄宿し、小龍は万次郎が語る異国の話を本にまとめました。万次郎の漂流から海外生活を経て帰国するまでが挿絵入りで描かれており、全4冊からなっています。完成すると、まず藩主・山内容堂に献上され、その後は江戸の大名が競って求めるほどの評判に。
この『漂巽紀略』 は坂本龍馬ら幕末の志士たちも目にしたと言われ、鎖国下にあった日本人の目を海外へ向けさせるきっかけとなったのでした。

大英博物館完成      
1853年
(嘉永6年)
【26歳】
幕府に招聘され江戸へ。直参旗本に。この際中浜の姓を授かり、中浜万次郎と名乗るように。
ペリーが浦賀に来航
プチャーチンが長崎に来航
【18歳】
「小栗流和兵法事目録」一巻を伝授される。 15ヶ月間の国暇を許され、江戸の北辰一刀流、千葉定吉(千葉道場)に入門
ペリー来航時、土佐藩臨時雇として品川沿岸警備にあたり、黒船を見る
 

9月22日、暴風雨が発生し、大風により三崎浦のカツオ船乗組員19人全員死亡

1854年
(安政元年)
【27歳】
幕府通弁のかたわら、造船。航海、測量、捕鯨の指導のため、国中を東奔西走。
幕府剣道指南・団野源之進の二女・鉄と結婚
ペリーが神奈川沖に再び来航
日米和親条約締結
【19歳】
剣術修行満期。土佐に帰省
秋 絵師・河田小龍を尋ね、世界情勢について啓発される
【20歳】
奥宮慥斎に従い江戸に出る、安積艮斎の門に入る。

 

1855年
(安政2年)
【28歳】
アメリカ航海学書『ボーディッチの航海書』の翻訳を命じられる
江戸で大地震(安政の大地震) 【20歳】
父・八平が亡くなる
河田小龍門下の近藤長次郎、今井純正(のちの長岡謙吉)、新宮馬之助らとの交流が始まる
【21歳】
父の災厄を知り、帰郷し投獄される

大地震の影響で米価が高騰し、飢饉状態

1856年
(安政3年)
    【21歳】
再び1年間の国暇を許され、江戸へ剣術修行に行く
   
1857年
(安政4年)
【30歳】
軍艦教授所の教授になる。
詳細を読む

【勝海舟との交流】
万次郎が教鞭を執ることになった軍艦教授所。後にその責任者となるのが勝海舟でした。勝はある時、万次郎を招きアメリカ事情を尋ねました。万次郎は幕府関係者の多くから愚にもつかない質問を受けていたので、この時も受け流していました。
しかし勝が熱心に問うと、ではひとつお聞かせしたいことがあると言い、こう語りました。
「アメリカでは高い身分に就いた者は、ますます深く考え、振る舞いは高尚になります。ここが日本と大きく異なるところです」
幕府首脳の無能さを嘆いていた勝は、これを聞いて大いに万次郎と意気投合したといいます。

アメリカ航海学書の翻訳が完成。
セポイの乱 【22歳】
修行期間満了、さらに1年間の延長を願い、許される
【23歳】
出獄、追放処分になる。神田村に住む。

 

1858年
(安政5年)
【31歳】 日米修好通商条約が調印される
安政の大獄がはじまる
【23歳】
千葉定吉から「北辰一刀流長刀兵法目録」を授かって、江戸から帰国
【24歳】
吉田東洋の門下に入る

 

1859年
(安政6年)
【32歳】
英会話書『英米対話捷径』を編集
安政の大獄
秋山好古 誕生
【24歳】
西洋砲術家、徳弘孝蔵に入門
【25歳】
下横目(郷廻)に取立てられ、西洋事情の調査に長崎へ出張。

窪津でくじらを17頭捕獲

1860年
(万延元年)
【33歳】
日米修好通商条約批准書交換のための海外使節団が乗船した「ポーハタン号」の随行艦「咸臨丸」に通訳、技術指導員として乗り込む。
この艦には、艦長である勝海舟をはじめ、福沢諭吉といった人物の姿もあった。
桜田門外の変
エイブラハム・リンカーン、アメリカ合衆国大統領に当選
  【26歳】
縁あって郷士の娘、喜勢と結婚

松尾金毘羅山の燈明台建立

1861年
(文久元年)
【34歳】
外国奉行水野筑後守忠徳に同行し、小笠原諸島(父島、母島)の調査と図面作りをする。
南北戦争はじまる
エイブラハム・リンカーン、アメリカ合衆国大統領に就任
【26歳】
武市半平太の結成した「土佐勤王党」に加わる
姉・千鶴が亡くなる
 

 

1862年
(文久2年)
【35歳】
妻・鉄が病死する。
幕府の帆船・壱番丸の船長に任命される。
リンカーンが奴隷解放宣言
吉田東洋死去
【27歳】
沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩
勝海舟に弟子入り
 

 

1863年
(文久3年)
【36歳】
父島より捕鯨出航。マッコウクジラ2頭を捕獲。
ホーツン事件。強盗未遂の外人水夫2名を逮捕する。
薩英戦争
新撰組が結成される
長州で奇兵隊が結成される
【28歳】
脱藩の罪が許される
海軍塾の塾頭になる
勝海舟の護衛に土佐勤王党の岡田以蔵をつける
 

 

1864年
(元治元年)
【37歳】
薩摩藩開成所教授に赴任。航海、造船、測量、英語を教える。
禁門の変
リンカーン大統領に再選
【29歳】
お龍と知り合う
勝海舟の紹介により西郷隆盛と知り合い、大阪の薩摩藩邸に保護される
海軍塾閉鎖
 

 

1865年
(慶応元年)
【38歳】
長崎に出張し、薩摩藩の船を購入する。
雷門焼失
南北戦争終結
【30歳】
中岡慎太郎の薩長和解案を聞き、同調する。これ以降、薩長同盟に向けて奔走する
4月 小松帯刀や西郷隆盛について鹿児島へ行く
5月 長崎で貿易会社「亀山社中」創立
【31歳】
官有林払い下げ許可が下りる。群の下役に登用される。

 

1866年
(慶応2年)
【39歳】
土佐藩主・山内容堂公の依頼により、後藤象二郎等と藩校「開成館」の設立に寄与する。
また、後藤象二郎などと上海に渡り、土佐藩船(夕顔号)などを購入する
ウィーン条約 【31歳】
1月 薩長同盟を成立
1月 寺田屋で伏見奉行配下の襲撃に合う
3月 療養も兼ねて、薩摩へ新婚旅行に出掛ける
6月 幕府の第二次長州征伐で、亀山社中は長州の軍艦「ユニオン号」に乗り組み、海戦に参加。長州の勝利に大きく貢献する
 

 

1867年
(慶応3年)
【40歳】
薩摩の招聘を受け、鹿児島に出張していたが、12月、職を辞して江戸に帰る。
大政奉還
パリ万国博覧会
正岡子規 誕生
【32歳】
1月 宿敵だった土佐藩参政、後藤象二郎と手を結ぶ
4月 亀山社中を「海援隊」に改編、龍馬が隊長となる
4月 海援隊のいろは丸、紀州藩の明光丸と衝突し沈没
6月 土佐藩船「夕顔号」の中で、後藤象二郎に船中八策を授ける
11月15日 京都近江屋で刺客数名に襲われ死亡
【33歳】
長崎出張所勤務。後藤象二郎により、土佐商会主任に抜擢長崎貿易の功績を認められ、上士階級の新留守居組に昇進

 

1868年
(明治元年)
【41歳】
土佐藩から江戸深川砂村の屋敷を賜る(明治13年までここに家族と共に住まう)
戊辰戦争
鳥羽・伏見の戦い
明治維新
秋山真之 誕生
  【34歳】
土佐商会が閉鎖。開成館大阪主張所(大阪商会)に移る

土佐清水の複数の部落からも十数名の兵が戊辰戦争に出兵

1869年
(明治2年)
【42歳】
明治新政府により、開成学校(現・東京大学)の二等教授に任命される。
戊辰戦争・函館戦争が終結
スエズ運河開通
     

 

1870年
(明治3年)

【43歳】
普仏戦争視察団としてヨーロッパへ派遣される。
ニューヨークに滞在した際にフェアヘーブンに足を運び、ホイットフィールド船長と再会。
大教宣布の詔
横浜毎日新聞創刊
普仏戦争がおこる
  【36歳】
土佐少参事に任命
浪華会計係として藩の大坂事務を監督
「九十九商会」設立

官有林の入札・売却が認められる

1871年
(明治4年)
【44歳】
ロンドンからの帰国後、軽い脳溢血で倒れる。程なく全快するが、その後は静かに暮らす。
廃藩置県
ベルサイユ条約
  【37歳】
廃藩置県により官職を失う
「三川商会」(以後「三菱商会」)を設立

廃仏毀釈の風潮で土佐清水市内のいくつもの寺が廃寺となる

1874年
(明治7年)
【47歳】 板垣退助・後藤象二郎等により民選議院設立建白書が提出される。
台湾出兵
  【40歳】
台湾出兵で軍事輸送を担当

 

1877年
(明治10年)
【51歳】 西南戦争   【43歳】
西南戦争で軍事輸送に大きな功績

 

1878年
(明治11年)
【52歳】 大久保利通暗殺   【44歳】
「郵便汽船三菱会社」と改称
三菱商業学校・商船学校設立

 

1879年
(明治12年)
【53歳】     【45歳】
高田藩榊原家の江戸屋敷を購入。土地を買い敷地面積を倍近くにした上で母屋を建て直し
 
1883年
(明治15年)
【56歳】 鹿鳴館 開館   【49歳】
東京の屋敷に移り住む。
 
1885年
(明治18年)
【58歳】 清仏戦争がおこる
伊藤博文、初代内閣総理大臣に就任
  【51歳】
死亡
彼の死後「日本郵船会社」設立

 

1898年
(明治31年)
【71歳】
脳溢血にて没する
米西戦争    

貝ノ川小学校 移転

1911年
(明治44年)
        叶崎灯台初点
1914年
(大正3年)
        足摺岬灯台完成
1921年
(大正10年)
        「松尾のアコウ」国の天然記念物に
1924年
(大正13年)
        町制施行「清水町」と改称
◆万次郎没後30年
1929年
(昭和4年)
【万次郎記念碑の完成】
万次郎没後三十年に当たる昭和3年、正五位が贈られたのを記念して地元が半年がかりで建設。翌4年5月に完成
四・一六事件     竜串が県指定の名勝地となる
1953年
(昭和28年)
        「竜串」、「白山洞門」が県指定の天然記念物となる
1954年
(昭和29年)
        8月1日「土佐清水市」発足
1955年
(昭和30年)
        足摺国定公園となる
1961年
(昭和36年)
        国民宿舎あしずり完成、四国初の国民宿舎として営業開始
第1回あしずり祭り開催
1964年
(昭和39年)
        「見残し湾の造礁サンゴ」が県指定保護記念物に
1965年
(昭和40年)
        国民宿舎あしずり増築完成
以布利トンネル開通
1967年
(昭和42年)
        海のギャラリー完成
◆万次郎没後70年
1968年
(昭和43年)
【万次郎銅像完成】
足摺岬に万次郎の銅像が建立される
川端康成がノーベル文学賞を受賞
小笠原諸島、日本に復帰
     
1970年
(昭和45年)
        国道321号線に昇格。足摺スカイライン開通
竜串海中公園の指定をうける
1972年
(昭和47年)
        足摺宇和海国立公園指定
海中展望塔完成
1975年
(昭和50年)
        足摺海洋館開館
漁民研修センター落成
1976年
(昭和51年)
        鹿島公園完成
1982年
(昭和57年)
        あしずり港フェリー就航
1987年
(昭和62年)
【生誕160年】
12月2日
万次郎ゆかりの地、米国フェアヘーブン並びにニューベッドフォード両都市と土佐清水市との間で姉妹都市盟約が調印される
全日本民間労働組合連合会が結成される
ブラックマンデー
     
1991年
(平成3年)
【漂流から150年目】
土佐清水市青年会議所社会開発委員会のメンバーを主体とした「ジョン・万を越える会」が発足し、漂流150周年記念事業が実施される。
湾岸戦争
ソ連崩壊
ピナトゥボ山が20世紀最大規模の大噴火
     
1997年
(平成9年)
        9月24日 大阪海遊館海洋生物研究所(以布利センター)開設
2001年
(平成13年)
        以布利センターからジンベエの「海くん」大阪の海遊館へ
2002年
(平成14年)
万次郎帰郷150周年記念として中浜万次郎生誕地記念碑完成        
2004年
(平成16年)
        豪華客船「飛鳥」初寄港
市政50周年施行
2005年
(平成17年)
        海のギャラリー、リニューアルオープン
2006年
(平成18年)
海の駅あしずりに「ジョン万ハウス」移転オープン
第1回ジョン万祭り、土佐清水市で開催
       
2007年
(平成19年)
姉妹都市20周年・第11回ジョン万祭り、フェアヘーブン、ニューベッドフォードで開催       第1回足摺きらり開催
2008年
(平成20年)
第2回ジョン万祭り、土佐清水市で開催       第2回足摺きらり開催
2009年
(平成21年)
フェアヘーブンに「ホイットフィールド、ジョン万次郎友好記念館」開館
第12回ジョン万祭り・フェアヘーブン、ニューベッドフォードで開催
      第3回足摺きらり開催
第1回夢の一文字 足摺の叫び開催
2010年
(平成22年)
第3回ジョン万祭り、土佐清水市で開催       第4回足摺きらり開催
第2回夢の一文字 足摺の叫び開催
2011年
(平成23年)
第13回ジョン万祭り・フェアヘーブン、ニューベッドフォードで開催
ジョン万次郎資料館開館、草の根交流サミット高知大会開催
      第5回足摺きらり開催
第3回夢の一文字 足摺の叫び開催
2012年
(平成24年)
第4回ジョン万祭り、土佐清水市で開催
海ではじまり海で繋がる企画展開催
      第6回足摺きらり開催
第4回夢の一文字 足摺の叫び開催
2013年
(平成25年)
ジョン万次郎資料館名誉館長にビビる大木就任
第14回ジョン万祭り・フェアヘーブン、ニューベッドフォードで開催
       
ページ上部へ