【最終更新日:2011年4月1日】
**坂本龍馬の眼を開かせた日本の偉人、ジョン万次郎**
2010年、大河ドラマ「龍馬伝」放映に合わせて行われた、
高知県の大イベント【土佐・龍馬であい博】。
70,000人を超す入場者となった龍馬博土佐清水会場は、
ジョン万次郎資料館としてリニューアルオープン!!。
資料館では、ジョン万次郎の数奇で冒険心あふれる生涯を、
オリジナルシアターや多数のパネル・模型を展示して紹介。
ジョン万次郎の略歴 (【】内は万次郎の年齢)
1827年 足摺岬半島の中浜にて、貧しい漁師の子(次男)として生まれる。
1841年 5名で漁に出て漂流。【14歳】
1842年 無人島にて143日生活後、アメリカの捕鯨船に救助される。
ハワイに到着後、万次郎1名だけアメリカ本土へ。【15歳】
1843年 アメリカ東海岸のマサチューセッツ州の都市・フェアヘブンにて、
英語・航海術・測量、造船技術などを3年間学ぶ。【16-19歳】
1848年 アメリカの捕鯨船に乗り込み世界を6周する。
途中、捕鯨船の副船長になる。【21歳】
1850年 帰国を決意し、ゴールドラッシュへ参加。
帰国資金を得て翌年に琉球(沖縄)へ帰国する。【23歳】
※帰国決意=万次郎は捕鯨船で大航海をする中で
世界の植民地化を見て危機を感じた。
死を覚悟してでも、日本を救おうと考えたのだ。
1852年 帰国した万次郎から話を聞きいた絵師・河田小龍が
『漂巽紀略』として万次郎の半生をまとめる。【25歳】
※万次郎は、日本語を忘れていたため、土佐藩の命にて蘭学に通じていた
河田小龍が万次郎の話を聞き描く事によりイラスト入りの西洋事情レポートが出来た。
1853年 黒船来航の際、幕府より通訳&海外事情サポートのため
直参旗本の身分(中浜姓)を与えられ、開国に尽力。【26歳】
※しかし、スパイ容疑がかかり表舞台には出なかった。【動画:1、2、3、4、5】
≪坂本龍馬18歳、品川にて黒船を見る≫
1860年 咸臨丸(艦長:勝海舟)に通訳として乗船。
サンフランシスコへ。・・・福沢諭吉も同乗。【33歳】
※船酔いした勝艦長より、一時的に航行全権に任命される。
1866年 土佐藩の後藤象二郎などと上海に行き、土佐藩船「夕顔号」を購入。【39歳】 ≪薩長同盟≫
※翌年、この夕顔号の中で、坂本龍馬は船中八策をしたためた。
1867年 鹿児島在、江戸在。【40歳】 ≪大政奉還・坂本龍馬暗殺≫
1868年 江戸在。【41歳】 ≪明治元年≫
1869年 明治政府より開成学校(現・東京大学)の教授に任命される。【42歳】
1870年 高知県宿毛市の林有造≪高知県初代長官≫の通訳として、
普仏戦争視察団に参加。アメリカ~ヨーロッパを周る。【43歳】
※この時アメリカで、漂流した万次郎を救助してくれた捕鯨船の船長と再会している。
1898年 東京・京橋の自宅にて亡くなる。【享年71歳】
~
1968年 足摺岬に「ジョン万次郎銅像」を建立。【没後70年】
1987年 土佐清水市と米国の都市にて、姉妹都市盟約の調印。
生誕地市民との日米交流が始まる。【生誕後160年】
2010年 「ジョン万次郎生家」が生誕地中浜(足摺岬半島)に復元。
2011年 7月、日米交流の記念大会が高知県にて開催。
ジョン万次郎資料館 (2011/4/1~)
【開館時間】 8:30~17:00
【開館期間】 通年・年中無休
【入館料金】 おとな:400円、小中学生200円 (団体=15名以上同一入場は2割引です。)
【運 営】 (一社)土佐清水市観光協会
【アクセス】
※あしずり温泉郷・足摺岬から車で30分
※四万十市中心部から車で45分
※竜串海域公園から車で10分
※高知市内から車で約2時間30分
※松山市内から車で約4時間
★★★
ジョン万次郎資料館は、交流施設【海の駅あしずり】に設置。
【海の駅あしずり】には、土佐清水市観光協会事務所があり、
○御土産物・特産品の販売所「くろしお市場」
○飲食コーナー「レストラン潮風にふかれて」
が併設されております。
また、休日にはイベントなどを開催予定。
内容は、シーカヤック体験や釣り体験、ホエールウォッチングなど。
★★★
(一社)土佐清水市観光協会
住所: 高知県土佐清水市養老303(海の駅あしずり内)
問合: TEL:0880-82-3155 / FAX:0880-82-3156
mail: info@shimizu-kankou.com