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第6回 池道之助の旅日記紹介

 【発信日:2014年7月2日(水)】

 

※こちらの記事は池道之助の五代目子孫、鈴木典子さんの解釈版となっております

 鈴木さんの意向を踏まえて頂いた原稿をそのまま掲載しております。ご了承くださいませ。 

 

池道之助の旅日記紹介6

 

一つの小門に入り、一人の女が出てきて さあ おあがりなさいと座敷に通された

横山に向かい「このような 良ろしき場所に連れて来るのであれば、前以て言ってくれればよいものを 私は寝間着(部屋着)一枚で脇差一つのまま来てしまった。分かっていれば少し身支度をして来たものを」横山答えて、「貴方は知っておれば参加しないであろうと思って欺いたのである」

 三人座れば茶 煙草盆をその家の家内持ってきて 酒と「肴」(さかな)を出し 皿鉢二つ どんぶり三つ。

 横山熊次が申すには 芸子二人を呼んでくれと。程なく来たり。十六七歳あまりの おここと申す芸子が三味を持って来た。一つ二つ酒を呑み三味を引き掛けるが、横山は土佐風の▽土佐の高知のはりまや橋で ぼんさん メガネを買い寄った などのふしを頻りに歌い 芸子には持ち歌を歌わせる。西川の番頭と私は 酒を呑まず実に退屈した。番頭熊次とささやき、身ごしらえをして、脇差を差し、煙草入れと手拭いを取り、盆おどりをしながら、煙に巻いて、横山を一人残して、提灯をかり、勝手口から松次郎と二人が帰ったのは四つ頃(深夜2時)である。

金を惜しんで抜け帰ると思われては恥ずかしいので、おどりの前に、おどりの芸子へは三朱(さんしゅ(※金銭の単位))肴代として渡しておいた。

翌日五日、横山に会い、大笑いした。代金は一歩二朱掛け代(※後払い)として承る あげ屋にしてはどうして安いか。それは料理屋の故であると。

‘知らぬ道 ただうかうかと来てみれば 芸子舞子で馬鹿になりしや’(道之助のヒニクでしょうか)

 

五日曇り雨ぼろぼろ或いは晴れ 今日昼飯済ませてより中濱氏とイギリス人ガラマ方へ行くが、ガラマはじぶんの心配りの良いところや珍しいことなどを言うばかりである。万次郎が言うにはイギリス第一の金持ちであり、諸国に店を出しているらしい。奥行き二十間ばかりの蔵 六間を見せてくれる。大砲小砲夥しく(おびただしく)見物致す。其の後に上茶菓子馳走になる。その最中ガラマが中濱氏に向かい、この人に茶の製造所を見学してもらうと、自ら案内して残すところなく全て見物した。それから、又御馳走に合う。帰り際には、手と手を取り ぐうりで ぐうりでと言って私は帰り来る。(西洋式の挨拶 即ち握手の場面であろう)以下、道之助のスケッチが載せられてある。

 

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→池道之助の旅日記紹介7へ続く

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