第3回 池道之助の旅日記紹介
- 2014/05/14 14:15
- カテゴリー:池道之助日記
【発信日:2014年5月14日(水)】
※こちらの記事は池道之助の五代目子孫、鈴木典子さんの解釈版となっております
鈴木さんの意向を踏まえて頂いた原稿をそのまま掲載しております。ご了承くださいませ。
池道之助の旅日記紹介 第3回
阿蘇郷に五万石の国あり。田畑が多い里である。内牧に泊ることになる。町の宿はクモの巣のはった所であるが、中濱氏は布団を二つ重ねてその上に横になるのを常としていたので、ここでは寝苦しい様子である。
二十一日 熊本城下に泊まる。中濱氏の宿は松原屋内臓治。
□熊本の城は実に見事で、大門を五つくぐるまで門ごとに番所がありとても見事である。
それより進んで二つ目の峠より肥後の城下の村里を見下ろすと広大な国である。それより下って行くと二~三里の間、道の両側に大杉が立っている。加藤清正の植えた杉並木である。道幅は広く、畳を4~5枚横並べた広さである。(約10メートル)
清正公への参詣は、他国人は差し止めであったため、そのまま通過する。
その理由は小倉一件にあり。(※小倉の一件は文末に記す)
宿に宿泊しても、物々しい警戒で宿の付き人が一緒でなければ町に出られない程である。
二十二日熊本から、島原へ渡る様子が記されてある。
渡し屋の米屋茂三郎の所で一休みして、一同評儀をする。
□この雨降りでは出帆しないのが古くからの習慣である。と水夫が言うので、後藤様組は泊まる模様。しかし、中濱氏は是非乗船と言う。今宵、月の出を待って出帆と決め、與惣次は荷作りに忙しく私道之助は人夫に渡す銭を用意して予定時刻に出発。
□大雨であるが、川を二里程下り川口に至ると風は凪になり(静かになり)只雨が降り静かなり。海上も静かであるので直ぐに島原が見えるものと期待していたが雨や霧に阻まれ何も見えない。
そのうち、少し雨が止み山の姿が浮かび天草の地が現れた。気持ちを取り直し船を整えようやく夜の九時頃に肥前島原へ着船。
その夜は松村屋久佐衛門方に泊まる。
※小倉の一件について
九州の入口である小倉において、高杉晋作率いる兵を始め熊本や幕府の兵などが上陸作戦を展開していた。それに加えて将軍家茂(篤姫の夫)の死が重なりショックを受けた幕府の参謀が逃げ出す事態が発生するなどして熊本城下は長州人の密偵が潜入することへの警戒心から清正公への参詣は止められていた模様である。このような物々しい空気に対して道之助は「残念なことである」と記しています。
→池道之助の旅日記紹介4へ続く