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2014年07月の記事は以下のとおりです。

第7回 池道之助の旅日記紹介

【発信日:2014年7月16日(水)】

 

※こちらの記事は池道之助の五代目子孫、鈴木典子さんの解釈版となっております

 鈴木さんの意向を踏まえて頂いた原稿をそのまま掲載しております。ご了承くださいませ。 

 

池道之助の旅日記紹介7

 

 いよいよ、長崎での目まぐるしい日々が始まります。日記を読み返す度に、当時の長崎での様子が手に取るように読者に伝わってきます。

丸山で接待をしたり、グラバに出かけたり、上野の写真館に出かけたり、部屋で写し物をしたり、牛乳とパンを馳走になったり、と記されています。中濱の様子も記されています。

上海行きの準備の最中、中濱氏は江戸へも出帆しています。しかし、何かいいことが決まると昼間は多忙でも、夜は十陽亭(料亭の名前)に行き馳走に合い、宿から宿の家内が賑わいの為に芸子を二人連れて参加してくれたりして接待をしてくれています。

第一回目の上海行きのメンバーが決まります。

後藤象二郎殿 中濱万次郎殿

高橋勝蔵御用人勘定方として行く(会計係)

森田幾七 中濱万次郎従者として

由比珪三良士 松井周助士(英国留学の男)

〆て六人がこの度の上海行き

其外 宇和島の士賀来幸右衛門同(宇和島)上田亮太良又一人は加賀の家中、以上の三人は便売(有料)なり。

 

ここで私が注目したいのは、お役目への敬称つかいです。なので、後藤象二郎朗殿

中濱万次郎殿 由比珪(たま)三良士 松井周助士等の敬称です。余計なことではあるが、後藤 中濱と記されてある部分もあるところを見ると、その行動によって道之助は暗に記したものと思われる。その意を持って池道之助日記を読み進めて行くと、さらに深く内容がつかめると思うのです。

 ここからは、少し省略して話を進めますので気になる方は現代語訳池道之助日記をご覧ください。

 

この時、私も同行する筈であったが人数も多く物入りも大変であり、それに私が行くとなると北村治三郎殿も行くと申すので、会計係が心配しているので止めにした。

中濱殿にも実に残念に思っていただいたのである船中の異人のまかないだけでも一人あたり金三両ずつの支払いが必要であると申し上げたのである。

蒸気船 帆船とも二艘買い付ける予定であるが、長崎湊には乗り付けていないので、上海にまで行くのである。二十六日の早朝長崎湊を出帆する。

一行の出発した後、土佐商会は静かで、「・・・静かでとてもよろしい・・・・今日は夜前のくたびれにて休息・・・」と記され、万次郎の従者の與惣次と一緒に仕事の為に動き回っている様子がうかがえます。

この辺りから、道之助の体調不良の記録が出てきます。また次回に。

 

 

→池道之助の旅日記紹介8へ続く

 

 

 

第6回 池道之助の旅日記紹介

 【発信日:2014年7月2日(水)】

 

※こちらの記事は池道之助の五代目子孫、鈴木典子さんの解釈版となっております

 鈴木さんの意向を踏まえて頂いた原稿をそのまま掲載しております。ご了承くださいませ。 

 

池道之助の旅日記紹介6

 

一つの小門に入り、一人の女が出てきて さあ おあがりなさいと座敷に通された

横山に向かい「このような 良ろしき場所に連れて来るのであれば、前以て言ってくれればよいものを 私は寝間着(部屋着)一枚で脇差一つのまま来てしまった。分かっていれば少し身支度をして来たものを」横山答えて、「貴方は知っておれば参加しないであろうと思って欺いたのである」

 三人座れば茶 煙草盆をその家の家内持ってきて 酒と「肴」(さかな)を出し 皿鉢二つ どんぶり三つ。

 横山熊次が申すには 芸子二人を呼んでくれと。程なく来たり。十六七歳あまりの おここと申す芸子が三味を持って来た。一つ二つ酒を呑み三味を引き掛けるが、横山は土佐風の▽土佐の高知のはりまや橋で ぼんさん メガネを買い寄った などのふしを頻りに歌い 芸子には持ち歌を歌わせる。西川の番頭と私は 酒を呑まず実に退屈した。番頭熊次とささやき、身ごしらえをして、脇差を差し、煙草入れと手拭いを取り、盆おどりをしながら、煙に巻いて、横山を一人残して、提灯をかり、勝手口から松次郎と二人が帰ったのは四つ頃(深夜2時)である。

金を惜しんで抜け帰ると思われては恥ずかしいので、おどりの前に、おどりの芸子へは三朱(さんしゅ(※金銭の単位))肴代として渡しておいた。

翌日五日、横山に会い、大笑いした。代金は一歩二朱掛け代(※後払い)として承る あげ屋にしてはどうして安いか。それは料理屋の故であると。

‘知らぬ道 ただうかうかと来てみれば 芸子舞子で馬鹿になりしや’(道之助のヒニクでしょうか)

 

五日曇り雨ぼろぼろ或いは晴れ 今日昼飯済ませてより中濱氏とイギリス人ガラマ方へ行くが、ガラマはじぶんの心配りの良いところや珍しいことなどを言うばかりである。万次郎が言うにはイギリス第一の金持ちであり、諸国に店を出しているらしい。奥行き二十間ばかりの蔵 六間を見せてくれる。大砲小砲夥しく(おびただしく)見物致す。其の後に上茶菓子馳走になる。その最中ガラマが中濱氏に向かい、この人に茶の製造所を見学してもらうと、自ら案内して残すところなく全て見物した。それから、又御馳走に合う。帰り際には、手と手を取り ぐうりで ぐうりでと言って私は帰り来る。(西洋式の挨拶 即ち握手の場面であろう)以下、道之助のスケッチが載せられてある。

 

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→池道之助の旅日記紹介7へ続く

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